1981年、当時は合気会の師範部長をされていた藤平光一先生が「氣の研究会」を設立されました。田村先生からのお誘いで入会させて戴きました。藤平先生のお稽古は、氣の話と心身統一が中心で、合氣道の技は一切ありませんでした。兎に角、心身統一が如何に重要であるかをいろいろな角度から説かれ、誰もができるようにご指導されました。1983年4月頃に藤平先生から、前半の1時間を故石崎俊明先生(私を合氣道に導いて下さった大学の先輩)と天風会から来られた方と3人で交代で担当するようにとのことでした。担当させて戴くのは嬉しいことなのですが、合氣道をせずに統一道だけの1時間をどのように展開すべきか迷いました。藤平先生の後半の内容を次週の前半で指導することにしました。
館長の大場力夫です。1967年に二松学舎大学に入学して、合氣道と言う武道があることを知りました。「力を入れたときより、力を抜いた方が強い」と説明を受けた時、正直言って疑っていました。先輩に昼休みだけでもいいから入部するよう勧められました。疑いっぱなしでは良くないと思い入部することにしまました。仕事の都合上、昼休みと夕方5時まで稽古するようになりました。
毎週土曜日は師範稽古で、故田村巌先生の面白可笑しく厳しく激しい稽古でした。
大学2年の時、合気会本部道場へ田村先生のお供をして暫く稽古をさせて戴いていました。そうしているうちに田村先生から「これからは一人で行きなさい」と優待券を戴きました。夜の稽古は、大学が休みの時に行って、普段は早朝稽古の時間に通わせて戴いていました。
明るく! 楽しく! 逞しく!
Ki-Aikido Sohinkan Dojo in Tsukuba
当時付属の教員であった私は、毎日特殊科目の時間を利用して、復習していました。ただ藤平先生は戦争体験談が多かったので、その経験のない私は自分の拙い経験を挿入して補間しました。藤平光一先生からは、氣や合氣道について溢れるほどのお教えを戴きました。
1985年 藤平先生のお教えである「氣の原理」を広めようと決意し、教員を辞し、郷里の茨城県に戻りました。13年間も教員生活をしていたからか、教えることに夢中になって楽しい稽古を!この気持ちを忘れていたようです。これからはゆったりとした気持ちで楽しむ心身統一道・合氣道の稽古を目指していこうと思います。
合氣道は解れば解るほど奥が深い武道です。じっくり時間をかけて練り上げていかねばならないと思います。
皆さまも氣の原理の素晴らしさを体験し、体感し、体得して大自然との調和した心地よさを是非楽しんでいただきたいと思います。
合気会本部道場の早朝稽古は、二代目道主植芝吉祥丸先生がご担当されていました。この時間には創始者植芝盛平翁先生もお出でになられることが多く楽しみにしていました。私は道場の出入り口周辺で稽古していました。翁先生はお弟子さん二人に抱えられて道場に入られ、私が手を差し伸べると「爺は畳に上がれば大丈夫じゃ、心配せんでいい。」本当に畳に上がった途端、スタスタ歩き出すお姿を拝見しては驚くばかりでした。
翁先生から直接学んだことは多いのですが。特に印象深いことは、呼吸法(呼吸動作)の時、「爺とやろう」と私のところに来られて、「両手を重ねてごらん」と仰られました。私が両手を重ねると人差し指一本を重ねた手首の上にそっと置いて「手を動かしてごらん。」と仰いました。私がどう動かしてもビクともしませんでした。私が何故だろうと思案していると、翁先生は「不動金縛りの術じゃよ」と冗談っぽいお顔で仰いました。これが理解できたのは、それから数年後になります。それはさておき、創始者植芝盛平翁の最後の弟子の一人に加われたことは光栄に思います。
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